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2009年9月 2日 (水)

09年夏、西安・チベットへ(第二日)

817日(月)西安→西寧、そして青蔵鉄道・寝台特急へ乗車

1回目を書き終えてから、一週間が過ぎた。その間、山のように積みあがっていた仕事をやっと終えた。グリーン・ビジネス/マーケティングの共同研究の企画・申請書の提出、グローバルMBA1回入学生の受入準備委員会へ出席、地域活性化・地域ブランディングの研究会、教授選考・審査作業、ファミマとの会合、関西MBAのプロジェクト提案の審査会などなど。

そして、総選挙で国民としての権利を行使した。日本の政治が一刻も早く活力を取り戻して欲しいものだ。

国際政治の地政学的俯瞰を頭に入れて国と国民の安全保障を万全にし、国の経済・技術・金融・文化などの世界での地位を高めつつ国内では、国民の生活・安全を第一に優先する、というグローバリズムの視点を欠いたかのような民主党の政治感覚。国内では良いコト尽くめの政策をばら撒くような人気取り。

グローバリズムが格差を生んだのではなく、グローバリズムを自国に有利に先導できなかった政治の弱体ぶりを自民党がさらし続け、多くの国民を中進国並みの生活水準に陥れたのだ。自民党の人材枯渇は当分改善されることはなさそうだ。

国民の多くも気づかねばならない。人の能力でもグローバル競争に勝つ努力をすることなく、格差是正を声高に叫んでも状況は良くならないと知るといい。

日本の政治や経済が、そしてわれわれ日本人が中国や韓国をあなどり、怠けウサギのようにのんびりと居眠りして停滞している間に、かの国々がどんどんと先を行き、追いつき・追い越して行く。日本の政治が相対的に弱くなり、日本経済は20年間成長がないまま世界の中位国にずり落ちていく。

旅行記に戻る。今回の旅も、カミさんが大活躍して企画から具体的なスケジュールまで創りあげてくれて実現した。しかも料金は、日本側の旅行社の当初見積り一人分約30万円が、直接中国の旅行社との打ち合わせ・交渉に切り換えてしかも添乗員役まで引き受けてくれたおかげで、約18万円に落ち着いた。カミさんの企画・交渉・添乗員の価値が六人分で72万円に相当する。

817日は630に起床してビュッフェの朝食。オレンジ・ジュース、スイカ、メロン。フランスパン一切れ。そして禁断の柔らかベーコンをなんと3枚も。口に広がる濃いうまみが後を引く。

820ホテル発。ラサからの帰途21日(金)にまた戻るので、夏物を預けておく。

1000発予定の西安・咸陽空港(シーアン・シャンヤンXi-anXianyang)→西寧(シーニン:Xining)のフライトが遅れに遅れて1200発。到着が1400、真っ先に昼ごはんへ。レストランに1500。マトン、ピーマン、ジャガイモ、チキン、卵を素材にした辛い四川風、カレー風、回教族風などなど中華料理といっても幅広い。

Photo

その後チベット仏教寺院とイスラム教寺院へ。

塔爾寺(タール寺:チベット語でクンブム)はチベット仏教最大の宗派ゲルク派の六大寺の一

 

つ。チベット民族やチベット文化が色濃いここ青海(青海)省(Qinghai Province)にタール寺があり、もう一つのチベット文化圏である甘粛(かんしゅく)省(Gansu Province)に一つ、残り四大寺はチベット・ラサにあるとのコトだ。Photo_2

寺院の極彩色の建物群。お寺と言うより一つの町だ。そこで500人くらいの修行僧たちは衣食住医まで全てまかなう。最盛期には5000人の僧がいたと言う。建物の中にはバターの灯火で甘ったるい匂いが充満し、それが酸素と交じりあってなんとも言いようがないすえた異臭が鼻を刺す。バターで作った仏像や花々、それが解けないようにガラスのケースで保護されエアコンで守られている。私たち参拝・見学者は汗だくで順路を巡った。

帰路、海抜2200メートルの地を走る車の中から見る低い山々は、禿げていて稜線がなだらだ。植樹された若い木々の細い幹や枝がまっすぐに伸びている。ここは中国大陸の奥深く、降雨量は多くなく、台風のような強い風も吹かないようだ。ふと、和辻哲郎の『風土』の描写を思い出した。エーゲ海地方の木々が幹や枝がぐにゃぐにゃと曲がらずにあくまでまっすぐに上に伸びている様子を観て、和辻はかの地は暴風雨が少ない穏やかな風土だと見抜いた。和辻が中国内陸の奥深く乾燥したこの地にきたらどう表現するだろう。

ガイド君はチベット族で、名前は南加(なんか)で姓はない。チベット族には氏がないことを知った。彼は名古屋・南山大学を卒業している。一人っ子で、親の「近くに戻れ」との指示で西寧に戻った。彼が得意そうに言う。「じゃがいも、にんにく、そら豆が三大輸出品です」。それがとてもおかしかった。

市内に戻り、青海省最大のイスラム教寺院・西寧東関清真大寺へ。ゆうに600年の歴史を刻んでいる。

Photo_3 巨大なブルーの桃のような形をした塔が空に突き出している。回族(ペルシャ系・アラブ系)が多く、シルク道路を越えてきた商人の末裔たちであるせいか、西寧の経済を彼等が牛耳っているという。回族、頭に白い帽子をかぶり、口とあごに濃いひげを生やしていて、背の高い人たちだ。中国人=漢族とは程遠い顔立ちとその立ち居振る舞いの違いが際立っている。正直いってイスラム教の雰囲気や儀式がかもし出す心象風景が私はとても苦手だ。

市場により果物(桃やトマト)と塩を購入。青海湖は塩水で広さはびわ湖の6倍だとか。その湖の塩だ。500グラムでわずか一元だった。これでトマトがおいしく食べられる。調味料にも関心がありどんな「うま味調味料」のブランドがあるのか店を覗いた。「味精」とか「味鮮」が量陳されていた。

青蔵鉄道K9801便の出発21:05に間に合うように、急いでアラブ風の緬を掻き込むように食べた。油がいっぱい浮かんでいるスープの中にすいとん・きし麺のような幅広い緬・野菜が大きなどんぶりにぎっしりと入っている。食べても、食べても一向に減らない。ビールは常温で生ぬるい。別皿に湯がいた羊肉。生にんにくをかじりながらカレー味の濃いたれをつけてかぶりついた。結構うまい。

西寧駅は超満員。中国ではどこでも見慣れた光景だ。アリの大群の中でもみくちゃなり、押し合いへし合い、汗だくになってやっと寝台車に乗り込む覚悟を決めていた。一等寝台といっても乗り込むまではアリの行列だ。

幸いなことに、旅行者の社長の口利きでVIPのラウンジに入れてもらえて悠々と一等寝台へ。一等寝台が取れたのは京都を出発する2日前だった。カミさんが旅行社に丹念に根気よく依頼し続けたのが効をそうした。そして、社長さんが本気になって「人間関係」の強さを使って駅の幹部に働きかけたおかげである。西寧→ラサまで25時間の旅、一等寝台4人のコンパートメントで1810元(約11800円)である。寝台の質は日本での二等寝台、左右二段ベッドである。

チベット。にわか勉強だが、チベットの意味を現在の地理的・政治的観点と本来の民族的・文化的観点との両面から理解しておきたい。

前者の観点からはチベットは、チベット自治区を指し、北は新疆ウィグル自治区と接し、東から青海省と四川省に包み込まれている。東南には一部雲南省にも突き出ている。チベット自治区は南のヒマラヤを越えるとインド、ネパール、ブータン、ミヤンマーにいたる。

後者の観点から言うと、チベット族の居住とその文化・宗教は、チベット自治区から青海省全域、甘粛省・四川省・雲南省の一部にまでまたがっている。チベット族自治州が甘粛省に一つ、青海省に三つ、そして四川省と雲南省に各一つある。合計7自治州である。自治区・自治州の総面積は日本の10倍に及ぶ。チベット族の人口は600万人でそのうちの270万人がチベット自治区に住んでいる。

自治は認められているが、政治・経済では漢民族がリーダーシップを握っている。ちゃんとした仕事に就けるのは、中国語ができることが必須だ。文化的にも漢民族と同化・融合する方が何かと有利だ。チベット民族の言葉や文化の中だけで生きていくことは、中産階級への道をあきらめることでもあるのが現実のようだ。

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